公益財団法人 東予育英会 東予学舎 東京都調布市にある男子学生寮

東京都調布市にある男子学生寮の紹介です。

 わがふるさとは陽に生れて -東予育英会東予学舎舎歌-

わがふるさとは陽に生れて 8連歌

わがふるさとは陽に生れて 27連歌 ロングバージョン

雲呼ぶ風に




学舎エレジーについて 平成24年11月 舎友会会長 鴻上隆嗣 記

この歌の歌詞と経緯について、私が知り得る範囲で書きしるします。
先ず、当時(下馬時代)の宴会の定番はまず、春歌(多少卑猥な替え歌)と校歌等学校に係る歌を手拍子で歌う事でした。校歌や寮歌はオリジナルが殆どですが、この種の歌は殆どが替え歌です。
学舎エレジーも原曲は軍歌です。(題名はよく判りません)元歌のメロデイに先輩の誰かが歌詞を付けたものが歌い継がれたものと思われます。
ただ、7番までの歌詞の中で一つだけ、私が付け加えた歌詞があります。今となっては恥ずかしい限りの歌詞ゆえどの部分かはご想像下さい。

 1   故郷(くに)の、親父や、お袋さん、可愛いあの娘に送られて
    *瀬戸に乗り込み、遥々(はるばる)と、着いた所は東京駅
(注)列車瀬戸号 宇野駅から東京までの寝台急行列車。学生は当然ながら普通自由席だった。当時、愛媛から東京までは18時間位の道のりでした。

 2   ぐるり、まわるは、山手線、新橋、品川、後にして
     目黒、恵比寿のその次は、ハチ公で有名な渋谷駅

 3   蛇崩循環バスに乗り、*環6、環7右に見て<後にして>、
     三宿回れば、すぐそこに<その次は>、自衛隊中央病院
(注)現在では「環6環7後にして」と歌っていますが、自分の記憶では右に見てだったと思います。昔の蛇崩循環バスは大きく迂回していたという説があります。

 4   観ればボロそうな家(うち)だけど、中もやっぱり、ボロだった、
     二段ベッドも、きし揺れる、その名も、我らが東予学舎

 5   朝も、早よから、起こされて、便所掃除に、拭き掃除
     母ちゃん、見てくれ、この姿、しもやけ、あかぎれ痛いけど

 6   焼酎片手に、今日もまた、ブラリ、ぶらぶら、三茶ぶら
     *ナナ<注>に行こうか、ローヤル<注>か、止めとこ、世田公で月<星>を見る
(注)ナナ、ローヤル 昭和42・3年頃三軒茶屋にあった飲屋(バー)
その後の世代は、金ちゃん、伊勢元となります。
世田公(世田谷公園の意)

 7   夜の夜中に、飛び起きて、故郷(くに)の、あの娘に、筆を執る
     待っていてくれ、4年間、僕が、卒業する日まで 、僕が、卒業する日まで

以上、私が学生の頃の歌詞とあらましです。< >は現在歌われている歌詞です。
明治だけではなく”昭和も遠くなりにけり”と云うところでしょうか。