公益財団法人 東予育英会 東予学舎 東京都調布市にある男子学生寮

東京都調布市にある男子学生寮の紹介です。

  「衆議院通用門」について   10月1日  塩田 智明(61年卒)

 すでにニュースでご存じの方もおられると思いますが、さる9月30日午後3時40分ごろ、衆議院通用門近くで乗用車が炎上しました。

 私は当時、国会議事堂とは別の建物で執務中でしたが、突然黒煙がもうもうと立ちこめ、何かが焦げたような臭いがしました。「白昼テロか」という声を聞きつつ、オフィスの窓から文字どおり「高みの見物」を決め込みましたが、まもなく、火は衛視らによって消し止められ、警視庁が運転していたとみられる男の身柄を確保したとの知らせがありました。

 犯人については、いろいろな報道がありますが、今回私がお話ししたいのはそのことではありません。「衆議院通用門」についてです。みなさんは「通用門」というと、それこそ毎日国会議員、官僚、そして傍聴や参観に来た一般国民がひんぱんに行き交う門だと想像されると思います。しかし、私は、就職以来20年近く、あの「通用門」を人や車が通るところを見たことがありません。あそこの鋼鉄製の門扉は常時閉鎖されていて、門というより、柵と化しているように思います。もちろん、普通車くらいでは突破できません。その後の報道によると、犯人は、門を突破するつもりはなく、自分の車に付けた火が存外によく燃え、充満する煙に耐えかねて通用門前で車を乗り捨てた、ということです。

 議員の車や私たち職員がよく行き交うのは「国会南門」です。「通用門」の本来の意味に従えば、国会南門こそ通用門と呼ぶのにふさわしい門です。国会南門は今回の事件のあった衆議院通用門から100メートルほど霞ヶ関寄りにある門で、警備も厳しくなっています。

 さて、私たちの大先輩に当たる舎友の中には「衆議院『南』通用門」という言葉を記憶されている方々もいると思います。

 昭和35年6月15日午後7時過ぎ、新安保条約締結阻止行動に加わっていた東大文学部4年の樺美智子さん(22)が、「衆議院南通用門」付近で国会構内への突入を図った学生デモ隊とこれを阻止しようとする警官隊のもみ合いの最中に圧死したのです。いわゆる「60年安保闘争」の中でも大きな事件でした。
 ややこしい話になりますが、この「衆議院南通用門」というのは、先に出た「衆議院通用門」とも「国会南門」とも別のものです。場所的には、いまの「衆議院通用門」と「国会南門」の中間、ちょうど地下鉄の国会議事堂前駅の地上出口付近に、当時の「衆議院南通用門」がありました。樺さんの事件の後、議事堂の外柵の改修が行われ(60年安保当時、議事堂の柵は乗り越えようと思えば乗り越えられるくらいの高さだったそうです。)、そのときに「衆議院南通用門」はなくなってしまいました。

 今回の車の炎上事件を報じる記事の中に、事件の場所を「衆議院南通用門」と書いている新聞社がありました。もしかしたら、担当デスクはそのことを知らなかったのでしょう。

 では、今回はこの辺で。