公益財団法人 東予育英会 東予学舎 東京都調布市にある男子学生寮

東京都調布市にある男子学生寮の紹介です。

 ●「酔いたんぼの戯言」(4)    9月30日  佐伯信治(第 35回)

 ほぼ 3ケ月に1回のペースで投稿させていただいているが、数えて今回が4回目となる。小生が鹿児島の地に移ってから1年と2ケ月が経過した。全く時の経つのは早いものである。早いと言えば、当時日本中を震撼させた弊社子会社?ジェー・シー・オー(以下、「JCO」という)の臨界事故が発生(1999年9月30日AM10:35)してから、今日で丁度丸6年となる。
 ご存じの方も多いと思われるが、 1989年、小生が会社に入ってすぐ赴任したのが、このJCO(当時の社名は、日本核燃料コンバージョン?)であり、ここで約6年半を過ごした。事故当時のことは割愛するが、当社ではその後グループを挙げて社会からの信用回復に取組んできた。信用を失うのは一瞬であるが、一旦失った信用を回復するには相当の長い期間を要することは、JCO事故以降発生した雪印三菱自動車の不祥事を見ていても明白であるし、その覚悟を従業員全員が共有して、信用回復のために取組むべきことを地道にそして真摯に実践していくしか道はなく、決して近道はないのである。

 毎年、この日を迎えるのは辛いものがある。ともに朝まで酒を酌み交わしていた同僚が 2名死亡したことに加え、直接的な原因があるかどうか不明ながらも、その後2年の間に現役の取締役が3名、さらには当時就任したばかりであったJCO社長が相次いで急逝した。いずれも最前線に立って事故処理にあたっていた者たちであった。幸いにもマスコミで大きく取り上げられることはなかったようであるが、特に深く関わっていた小生にとっては心臓をえぐられるような想いであった。

 今月の社内報に現在の JCO社長の言葉が掲載されていたので、抜粋で紹介する。彼は、事故当時、別な事業所に勤務していたが、すぐに現地招集された中の一人で、その後ずっと総務関係業務に携わり、最近そのまま社長となったため、事故当時から現在に至るまでの過程をつぶさに見てきた人間である。

 事故云々とは関係なく、当たり前のことで、日頃わかっているようでも実際に行動として実現できているかどうか、社会人・学生それぞれの立場で改めて振り返ってみて欲しい(先輩方には大変無礼な言い方で申し訳ありませんが、ご了承願います)。

・仕組みやルールを作っても、「その心」を理解しなければ、それで安心してしまう分だけ、仕組みがないより始末が悪い。

・組織全体が、「報・連・相(ホウレンソウ)」により常に有機体として機能していること。「ちゃんと説明したつもり」、「規程に書いてある」、「メールで送った」など、相手が理解していないかもしれない一方的なコミュニケーション(双方向でなければコミュニケーションとは言えないが)になってはいないか。

・厳しさ・ケジメとやさしさ・仲間意識が調和した組織づくりは、トップ、管理者、監督者の責務。基本や当たり前のことをキチンとやる風土をつくり、維持すること。

 話は変わるが、今年は約 20年振りに「西条祭り」に帰ろうと企んでいるところである。